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軽い人殺しが増えるわけ

 どこかの知事さんが総指揮をしたという触れ込みで、『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画が公開されている。このタイトルの中の「君」とは、お世話になった人だったり、恋人だったり、友人だったり、兄弟だったり、親だったりするのだろうが、ここのところ、「君」のために命を投げ出すはずの「俺」が、逆に「君」を殺してしまうような事件が毎日のように報道されていて、とても皮肉に見える。
 尊属殺人という言葉が古くからあるように、親殺しや子殺しは今に限ったことではないし、身近な人を殺すのは自殺の一種であると指摘する人もいる。そのように理解すれば、一番大切な自分を殺す勇気がないから次に大切な者を殺めてしまったのかと合点がいくが、まったく身勝手な話で二重に悲劇的だ。
 しかし、一方、たとえば親を殺した子が「実は誰でもよいから人を殺してみたかった」というようなことを言ったと報道されているのを聞いて、動機はどうであれ軽い人殺しが増える理由は別のところにあるのではないか、と思うのだ。
 これも皮肉なことだが、長い歴史の中で、人は死に至る危険(事故や病気など)を頑張って減らしてきた。その結果、有難いことではあるが身近な死(知人が事故で死んだり、身内が病気で死んだり)を体験することが少なくなった。それに加えて最近は、自分の子供に、ショックが大きいからと祖父や祖母の死を見せない親が増えているらしい。
 しかし厳然として人には天寿があり、いつかは死ぬ。だから生とともに死についても大切な知識として身につける必要がある。むしろ「知識」と言うよりも、身近な死を尊い経験として直視し体感する必要がある。たとえば学校で同じクラスメイトの身内に不幸があった場合などは、必ずクラス全員で葬式に参列するなど、意識して死を学習すべきなのだ。
 冒頭の映画の話に戻るが、リアルな死をイメージできない人間に、死が美しく見える映画を見せるのは危険だ。平和だからこそ、身近で自然な「死」を大切にする必要がある。

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