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5月, 2007の投稿を表示しています

軽い人殺しが増えるわけ

 どこかの知事さんが総指揮をしたという触れ込みで、『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画が公開されている。このタイトルの中の「君」とは、お世話になった人だったり、恋人だったり、友人だったり、兄弟だったり、親だったりするのだろうが、ここのところ、「君」のために命を投げ出すはずの「俺」が、逆に「君」を殺してしまうような事件が毎日のように報道されていて、とても皮肉に見える。  尊属殺人という言葉が古くからあるように、親殺しや子殺しは今に限ったことではないし、身近な人を殺すのは自殺の一種であると指摘する人もいる。そのように理解すれば、一番大切な自分を殺す勇気がないから次に大切な者を殺めてしまったのかと合点がいくが、まったく身勝手な話で二重に悲劇的だ。  しかし、一方、たとえば親を殺した子が「実は誰でもよいから人を殺してみたかった」というようなことを言ったと報道されているのを聞いて、動機はどうであれ軽い人殺しが増える理由は別のところにあるのではないか、と思うのだ。  これも皮肉なことだが、長い歴史の中で、人は死に至る危険(事故や病気など)を頑張って減らしてきた。その結果、有難いことではあるが身近な死(知人が事故で死んだり、身内が病気で死んだり)を体験することが少なくなった。それに加えて最近は、自分の子供に、ショックが大きいからと祖父や祖母の死を見せない親が増えているらしい。  しかし厳然として人には天寿があり、いつかは死ぬ。だから生とともに死についても大切な知識として身につける必要がある。むしろ「知識」と言うよりも、身近な死を尊い経験として直視し体感する必要がある。たとえば学校で同じクラスメイトの身内に不幸があった場合などは、必ずクラス全員で葬式に参列するなど、意識して死を学習すべきなのだ。  冒頭の映画の話に戻るが、リアルな死をイメージできない人間に、死が美しく見える映画を見せるのは危険だ。平和だからこそ、身近で自然な「死」を大切にする必要がある。

October Sky

 『遠い空の向こうに』という映画DVDを見た。邦題があまりにも凡庸なので、評判を聞かなかったら絶対見ることはなかっただろうが、信念や恩師、そして親子の絆などが盛り込まれた良い映画だ。原作名である『 ロケットボーイズ 』をタイトルにしたらよかったのに、と思ったが、似たような名前の邦画があったなぁ。  アメリカの枯れ行く炭鉱が舞台。時は1957年10月4日。人類初の人工衛星スプートニク1号がソ連から打ち上げられた。夜空に流れる衛星に感動し、ロケットやフォン・ブラウンに憧れる高校生たちが、模型の打ち上げロケットを作り始める・・・。そのうちの一人が、後にNASAのスタッフとなり夢を実現することになる原作者であった。  枯れゆく炭鉱が舞台の映画といえば、先に見た『フラガール』や『リトルダンサー』、『ブラス!』などもそうで、皮肉なことに、このような死と隣り合わせの過酷な環境が逆に人を生きいきとさせるようなドラマを生んでいる。ちなみに、タイトルにしたOctober Skyは、映画の原題。

脱マスメディア再び・・・

 BloggerがGoogleに買収されて、リニューアルされたのは知っていたのだけれど、買収前に立ち上げて、ろくに更新せずにいたので、最近になって、やっとその仕組みに追いつけるようになってきた。  そこで、ラベリングついでに、自分の書いたものを読み直していたら、なんと、見ず知らずの方のブログで、拙い私の発言を 引用 してくれていることがわかり、ちょっと嬉しくなった。と同時に、改めて「 脱テレビ 」をテーマにしている人たちが多いということもわかり、それはそれでまた嬉しかった。  最近はYouTubeで好きなCM(もはや番組本編ではないというのが皮肉)だけを見ることができる環境にまでなると、テレビ局やその収益構造って、いったいなんなのかなぁ、と考え込んでしまう。新聞や雑誌もまったく同じ問題を抱えている(だから、タイトルをあえてマスメディアにした)。  映画『マトリックス』に喩えることが適切かどうかわからないけれど、「マトリックス」に繋がるプラグを抜いて「ザイオン」と行き来する人が確実に増えている、そんな感じだ。