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シャワーとセミ

夜、シャワーを浴びていると、セミの鳴き声が聞こえた。アブラゼミにミンミンゼミ・・・。 はじめは、外の街灯の影響で、狂い鳴きしていると思っていたが、それにしては、うるさいほどの大合唱。昼間の公園で聞くほどのセミしぐれだ。 もしや、と思い、シャワーを止める。と、セミの鳴き声も消える。 シャワーを出すと、元通り、セミしぐれ。 なんと、シャワーの水がいろんなところに当たって出ている「シャー」という単純そうで複雑な音が、頭の中で、昼間聞くセミしぐれに変換されていたのだった。

サングラスの効用

 若い頃は、ギラギラ夏の太陽も帽子なし裸眼でへっちゃらだった。しかし悲しいかな、最近は眩しさに耐えられず、サングラスをすることが増えた。  しかしこのサングラス、ただ眩しさをさえぎるためのものと思いきや、どうやら暑さも遮っているということを最近感じるようになった。  つまり、ギラギラの太陽光線を、「まぶしぃっ」と思いながら眉間にシワを寄せながら、目を細めて歩くのに比べると、サングラスをして平然と歩くほうが、暑さを感じる度合いが少ない。これは確かだ。さらに、汗の出具合も少ないように思えるのだが、どうだろう。これは、自分としては、最近の大きな発見。  人の体と心は、やはり密接につながっているのだなぁ。そんなことを実感した。

結婚という制度

 昨日は、女性たち7人の飲み会に、お邪魔虫とは思いつつ好奇心で首を突っ込んだ。  もう1グループ飲み会に誘われていたが、そこの店は3連荘になっちゃうのと、集まった男衆が濃すぎたので、遠慮した。  周りがどう思うかは別に、正直、男一匹、女性たちに混じって飲むのは苦痛じゃない。むしろ心地がいい。若いときには考えられなかったことだ。大人になったのか。はたまたオヤジになったのか^^;  ところが男が一人でいると、いくら静かにしていても  「男の人って誰でも浮気心ってあるんですかぁ」 とか、スルドい矛先を向けられることがある。そう聞いてきた彼女は、まだ20代未婚なのだが、いままで付き合ってきた人は、結婚を考えた彼氏の含め、みんな浮気していたという。  「うん、あるんじゃない?」って事も無げに答えた。  「えぇっ?そうなんですかぁ」と別の育ちの良さそうな妙齢女性。 ヤバっ、地雷を踏んだか?と思いつつ続ける  「うん。でも、人を好きになるのは自然な感情じゃん、その気持ちをどこまでコントロールできるかで浮気になるか、ならないかが決まるんじゃない?」  この答えにはけっこう納得がもらえたみたいだ(汗)  そんな話をしていて、ふと、結婚という制度について、いままでにない思いがよぎった。 結婚とは無責任な浮気性の男を縛って女性と子供たちを守るための制度なんじゃないか・・・ 先に書いたブルカの話も想起しながら、なんとなく得心してしまったのだ。

イスラム女性のベール

他の国では、チャードルなどとも言われるようだが、アフガニスタンでタリバンが女性に強制したという言説で有名になった「 ブルカ 」。アメリカ発信のマスコミでは女性抑圧の象徴としてその意味が流布されたが、どうだろう?  正統的な宗教は、自らを律するという意味合いで、おおむね禁欲を要求し、その中に当然、性欲も含まれる場合が多い。そして主に男の性欲を抑制する意味で、女性はむやみに肌を見せてはいけないというモラルがあり、それが具現化したのが女性用のベールではないか、とも思うのだ。  女性のきめ細かな美しい肌はそれだけでも、男にとって魅力的なもの。男の性欲をかきたてるものだということを案外、流行のファッションでも肌の露出が多い現代日本の若い女性たちは、軽く見ているのではないだろうか。  だからといって、襲われて乱暴された女性は、襲われる本人にも責任がある、などという結論を導き出そうというつもりはない。むしろ、リアルなコミュニケーションが不足している現代、相手を思いやる心(想像力)だったり、自分の欲情的な行動をコントロールする力が育っていない人間も、確実に増えていることは確かなので、女性たちには充分、気をつけてもらいたい、そんな思いがあるのだ。

軽い人殺しが増えるわけ

 どこかの知事さんが総指揮をしたという触れ込みで、『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画が公開されている。このタイトルの中の「君」とは、お世話になった人だったり、恋人だったり、友人だったり、兄弟だったり、親だったりするのだろうが、ここのところ、「君」のために命を投げ出すはずの「俺」が、逆に「君」を殺してしまうような事件が毎日のように報道されていて、とても皮肉に見える。  尊属殺人という言葉が古くからあるように、親殺しや子殺しは今に限ったことではないし、身近な人を殺すのは自殺の一種であると指摘する人もいる。そのように理解すれば、一番大切な自分を殺す勇気がないから次に大切な者を殺めてしまったのかと合点がいくが、まったく身勝手な話で二重に悲劇的だ。  しかし、一方、たとえば親を殺した子が「実は誰でもよいから人を殺してみたかった」というようなことを言ったと報道されているのを聞いて、動機はどうであれ軽い人殺しが増える理由は別のところにあるのではないか、と思うのだ。  これも皮肉なことだが、長い歴史の中で、人は死に至る危険(事故や病気など)を頑張って減らしてきた。その結果、有難いことではあるが身近な死(知人が事故で死んだり、身内が病気で死んだり)を体験することが少なくなった。それに加えて最近は、自分の子供に、ショックが大きいからと祖父や祖母の死を見せない親が増えているらしい。  しかし厳然として人には天寿があり、いつかは死ぬ。だから生とともに死についても大切な知識として身につける必要がある。むしろ「知識」と言うよりも、身近な死を尊い経験として直視し体感する必要がある。たとえば学校で同じクラスメイトの身内に不幸があった場合などは、必ずクラス全員で葬式に参列するなど、意識して死を学習すべきなのだ。  冒頭の映画の話に戻るが、リアルな死をイメージできない人間に、死が美しく見える映画を見せるのは危険だ。平和だからこそ、身近で自然な「死」を大切にする必要がある。

October Sky

 『遠い空の向こうに』という映画DVDを見た。邦題があまりにも凡庸なので、評判を聞かなかったら絶対見ることはなかっただろうが、信念や恩師、そして親子の絆などが盛り込まれた良い映画だ。原作名である『 ロケットボーイズ 』をタイトルにしたらよかったのに、と思ったが、似たような名前の邦画があったなぁ。  アメリカの枯れ行く炭鉱が舞台。時は1957年10月4日。人類初の人工衛星スプートニク1号がソ連から打ち上げられた。夜空に流れる衛星に感動し、ロケットやフォン・ブラウンに憧れる高校生たちが、模型の打ち上げロケットを作り始める・・・。そのうちの一人が、後にNASAのスタッフとなり夢を実現することになる原作者であった。  枯れゆく炭鉱が舞台の映画といえば、先に見た『フラガール』や『リトルダンサー』、『ブラス!』などもそうで、皮肉なことに、このような死と隣り合わせの過酷な環境が逆に人を生きいきとさせるようなドラマを生んでいる。ちなみに、タイトルにしたOctober Skyは、映画の原題。

脱マスメディア再び・・・

 BloggerがGoogleに買収されて、リニューアルされたのは知っていたのだけれど、買収前に立ち上げて、ろくに更新せずにいたので、最近になって、やっとその仕組みに追いつけるようになってきた。  そこで、ラベリングついでに、自分の書いたものを読み直していたら、なんと、見ず知らずの方のブログで、拙い私の発言を 引用 してくれていることがわかり、ちょっと嬉しくなった。と同時に、改めて「 脱テレビ 」をテーマにしている人たちが多いということもわかり、それはそれでまた嬉しかった。  最近はYouTubeで好きなCM(もはや番組本編ではないというのが皮肉)だけを見ることができる環境にまでなると、テレビ局やその収益構造って、いったいなんなのかなぁ、と考え込んでしまう。新聞や雑誌もまったく同じ問題を抱えている(だから、タイトルをあえてマスメディアにした)。  映画『マトリックス』に喩えることが適切かどうかわからないけれど、「マトリックス」に繋がるプラグを抜いて「ザイオン」と行き来する人が確実に増えている、そんな感じだ。

フレグランス~香水・オーデコロン~の正しい使い方

フレグランスはその分類によって使い方が違います。香水は1、2滴を手首の内側やうなじに「点」の状態でつけます。香水より香り立ちのソフトなトアレは、香りを広げるために「線」の状態でつけます。さらに香り立ちの軽いコロンは、広い範囲に「面」の状態でつけます。それぞれのフレグランスの持ち味を活かすためにも、正しい使い方がフレグランスの楽しみ方の基本と言えます。( コスメネット より引用)  適切な使い方をしていればこその魅惑的なフレグランスも、つけすぎると公害であること、このうえない。  それも本人に自覚がないので、指摘すると気分を害してしまったりして始末に負えない。これは女性に限ったことではなく、男性でも勘違いしている人がけっこういることに驚く。  人間の適応能力のスバラシさは嗅覚も例外ではないようで、麻痺しやすいというのはいろんな人が言っている。  自分の好きな香りを、自分で嗅ぎたいが故に首筋や胸元などの鼻に近い部分につけてしまうと、あっという間に鼻が麻痺して香りが消えたように錯覚してしまい、どんどんつける量が多くなってしまうようだ。  そこで逆説的提案なのだが、もし、自己満足ではなくて、本当にお洒落でフレグランスを使うのであれば、あえて自分がどちらかといえば苦手な香りを使ってみてはどうだろう?  世間一般ではいい香りだと評価されているものだが、自分の好みではないものをあえて選ぶわけだ。そうすれば使いすぎることもない。知人の女性は、「オシャレは我慢」なんていう名言を吐いたが、これぞ究極のお洒落ではないだろうか。

ネットラジオ最高!

最近 SKY.FM というインターネットラジオがお気に入りだ。とにかくおしゃべりやCMのない音楽局というのは一般のラジオでは考えられないので、何年も前から、ネットラジオはBGMとして活用してきた。 ちょっと前まで、 WINAMP というプレーヤーをインストールして楽しんでいたが、しょっちゅうURLが変わるのが難点だった。最近は、だんだんと統合されてきていて、たいていのPCにはインストール済みのWindows Media Playerでも楽しめるようになってきた。 このネットFM局は、けっこういろんなジャンルの曲が聞ける。ハイテンションDJのおしゃべりがせっかくの音楽を邪魔していると思う人にはお勧めしたい。私がよく聴くジャンルは、 Smooth Jazz や Classic など。

ヨーダの言葉

Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.   この言葉を聞いたとき、すんなりと自分の中で納得できた。だから変な話、座右の銘のひとつでもあるのだけれど、ひっかかることがないわけではない。  恐れや怒りや憎しみや苦しみといった感情も人の暮らしに不可欠なものであり、これらも相まって、人生がドラマティック(豊か)になったりしているのだよな、ということだ。  先に書いた恋心の話ではないけれど、肝心なのは、我を忘れないこと。感情のコントロールを常に意識しておくことなのかもしれない。

春の日差しに緑が眩しい

久々に朝から天気が良い日。 出勤途中で大木がたくさんある大きな公園を歩くと、木漏れ日も陽を疎らに遮る緑たちもみんな眩しい。 昨日までの雨で、程よい湿り気もうれしい。 春の心地よさを感じられる日というのも意外と少ないことを考えると、 仕事をサボって公園でぼーっと木々や周囲の風景を眺めていたい気持ちになる。

恋することは素敵なこと

 ごく近しい友人と飲みながら、そんな、ありふれた話をした。彼も既婚者なんだけど、いつも誰かに恋をしているらしい。相手も既婚者であったり独身であったりと様々だけど、片思いであったり、両思いであったり・・・でも、相手と肉体関係になったことはないようだ。彼は言う。「肉体関係ってどうしても排他的になってしまうから、周りにも迷惑をかけて結局は長続きしないんだよね」って。他愛ない話をしたり、食事したり・・・なんか、心が通い合うのが幸せみたいなのだ。 それって、結構わかる気がする。単なる友達関係ともちょっと違うんだな。素敵だなと思う人と心が通い合う、喜んでいる姿、笑顔が見られるのが幸せ、というささやかで淡い恋心の記憶はけっこうあったりする。それに、そこそこ年を重ねてくると、恋心のコントロールもできるようになって、相手はどう思っているのかなぁ、とか、抱きしめたいなぁ、なんていう切ない気持ちさえ、楽しめるようになってくる。若いときに燃えるような恋の経験が少なかった(;_;)私には、ちょっと寂しいような気もするけれど、人を好きになるって自然な感情だし、周りともうまく折り合いをつけていく必要もあるからね。これを大人の恋というのだろうか?なにげない日常の幸せを愛おしく思うのは、年をとった証拠かなぁ。今日は柄にもない話題をネタにしてしまった。

映画は原作が短編なものが好みだ

 動画映像は情報量が多い。文字よりも音声、音声よりも静止画、さらに動画とファイルサイズが順に大きくなるのも当然といえば当然。  作る側の立場に立つと、文章や音声のみの場合は読者の想像力に大幅に依存するのに対し、動画は背景をはじめ、写り込むものや、収録される音声は、よりリアルさを求められる。そんな条件の下で思ったように「伝える」のは想像以上に大変なことだと思う。1時間半~2時間の作品を作るのに、いったい、どれだけの配慮がされていることか。  長編物を映画化するときには、それをまず脚本段階で短編化していることになる。ここでハショリ方を間違えると伝わらない。さらに、撮影されたシーンも上映時間に合わせてカットされるのはご存知のとおりで、最近はDVDの特典映像でカットした部分を見せられ、そういうことだったのね、と初めて理解したりすることも少なくない。最初から短編として完成されたものであれば、より脚本化しやすく伝わりやすいと感じるのだ。もちろん、映像化を前提に書かれた原作が一番なのだろうが・・・。

フラガール

予告を見て、ちょっと気になっていた映画。最近、たまたま見る機会に恵まれた。モデルだと思っていた松雪泰子がちゃんと女優だったし、踊りもなかなか見事。蒼井優も、ダサい炭鉱娘(失礼)から、次第に、フラ・ダンサーとして輝きを増していく過程が見事だった。蒼井優の兄貴で炭鉱夫の豊川悦司も、へーこんな役もやるんだーと関心。常磐炭鉱の衰退と常磐ハワイアンセンターの起業をモチーフにしたドラマだが、うまくまとめて、泣かせてくれるいい映画だと思う。主役は女で男は完全に脇役。女は強し、男は弱し・・・。この映画に限らず、見るたびに日本映画(厳密には違うかもしれない)も質が上がったなー(そんなに言えるほど見てないけど)と思った。