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映画『硫黄島からの手紙』を見た

 一旦、戦争という事象に巻き込まれてしまったら、平時には当たり前の「命を粗末にするな」というような台詞が、いかに空しいものになってしまうか、ということを改めて感じさせられる。  しかし、戦争に向けた「雰囲気」を醸成させるのは、そして、それを実施する、しないを決定する権限を持つ人を選ぶのは、自分たち自身にほかならないのだ。

地デジテレビを買うのはやめた

 大型テレビの売れ行きが好調な中、一方では、私の周りの人たちは、「番組の内容がつまらない」といってテレビをあまり見ない人が増えているという実感がある。私自身もその一人で、テレビを見る必然性を感じることが少ない。もちろん数は少ないが、良い(面白い、楽しい、ためになる)番組はあるし、たまに見ることもあるのだが、これから先、地デジでは標準らしいハイビジョン画質で見る価値がある番組がどれだけ生み出されるのか、今を見て想像し難いのだ。  ハイビジョンといえば、とても歴史のある技術(言い換えれば古い技術)。何十年もかけて、NHKや郵政省がごり押しで広めようとしたのに叶わなかったものが、テレビ放送デジタル化とセットでついにテレビ業界で標準化しそうな勢いだ。  今のテレビは2011年には(地デジチューナーを買わないと)使えなくなる、という柔らかな不安が私たちを電気屋さんに走らせる。なら、いっそのこと、これを機会にテレビを見るのをやめようよ、と提案したい。  そう言うと、ニュースぐらいは・・・とか身近な人からも声が聞こえるのだが、どうだろう?本当に自分に有益なニュースがどれだけある?世界中から届くセンセーショナルなニュース。それらに心を揺さぶられながら、何もできない自分がいる、麻痺していく自分がいる、ということも冷静に考えてみる必要がある。また逆に、いたずらに心が動揺させられることでおかしな方向に(結果的に)誘導されてはいないだろうか?  ニュースを見ようと思えば、既存メディアであれば新聞もあるし、ネットを通じてさまざまな情報を自分で選択して得ることもできる時代だ。 テレビはもっぱらスポーツ観戦で盛り上がる程度に活躍してもらうことにすれば、一家に一台も必要ないかもしれない。地球の裏側のニュースに一喜一憂するのはやめて、身近なことに目を向けるほうが、よほど幸せで、健康的な生活が送れるのではないだろうか。

青色LEDの色合いはもう少しなんとかならないか?

近年、 青色LED の普及によって、町の広告灯も、年に一度のクリスマスイルミネーションも、青色が目立つ。しかし、この色、発明者には申し訳ないのだけれど、最初のうちは珍しくて綺麗に見えたが、最近はあまり「いい感じ」がしない。冷たい感じがする。特に、これを書いているのが冬だからかもしれないが、最近の発光ダイオードは輝度も高く、青色に限らず夜の街で光っているのを見ると、ケバケバしく見えてしまうのだ。 2年前の同じ時期に、やはり クリスマスイルミネーション のことを書いたが、派手に飾った個人宅がさらに増えているように見える。かえって、正統派の教会などは、電球色で点滅もしない、控えめな飾りつけをしているようだ。  うさこちゃんことミッフィーの作者で有名なディックブルーナは、かなり時間をかけて検討された、通称ブルーナカラーという決まった色しか使わない。おちついた色で、絵を見る人を和ませる。見る人を楽しませたり、気持ちよくなってもらうというのは、かなり気を使うことでもある。広告やイルミネーションを見て、そんなことをふと思った。

またまた、ジャン・ベッケル

映画「クリクリのいた夏」をDVDで見た。先に書いた「ピエロの赤い鼻」と同じ、 ジャン・ベッケル 監督作品で、こちらが1作前?になる。  時期は第2次世界大戦前。舞台はフランスの田舎。クリクリという女性に、4~5歳の少女時代の思い出を語らせるようにして描いていく。ドラマティックでもなんでもない、なにげない日常をこれだけ見せる映画に仕上げているのは、監督のなせる技か、脚本家がよいのか?やっぱりキャストも含めて、関わった人たちの総合力なんだろうなぁ、とつくづく思う。スリルとサスペンスと非日常てんこ盛りのようなハリウッド映画よりも、こんな映画の方が僕は好きだよ。

宇井純さんが亡くなった。

寒くなると、訃報も増える。私の尊敬する宇井純さんが11日に亡くなった。16日に告別式があるとの新聞記事で、午前中、会社を休み参列。焼香して多くの人々とともに棺に花を手向けた。 高校時代に彼の著作に触れたり、また別の機会に雑誌の記事で、ある人物との対談を読んだことが間接的ではあるが確実に私の生き方に影響してきたことを思い起こす。20年程前、仕事で、彼が東大の万年助手時代に研究室や自宅に何度か原稿をいただきに上がったことや、私たちの開いたイベントにひょっこり遊びに来てくれたこともあった。その後、自分の仕事の内容が移り変わるにつれ、縁遠い存在となっていったが、時折、気になりネットで調べたりして沖縄大学の教授に招かれ活躍の場を移し、沖縄でさまざまな環境保護活動をサポートしていたことは知っていた。写真は、彼の尊敬した田中正造の言葉を奥様が書したもの。 「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 人を殺さざるべし」 ここ には、彼の弟子だった中西準子氏が書いた追悼文がある。合掌。

映画『ピエロの赤い鼻』は傑作

2004年に公開された映画のようだが、そんなことも知らず、DVDを借りてきたら、大当たりだった。冴えない学校の先生が週末になると 赤い鼻を付けたピエロ になり、地域の人を笑わせる。そんなお父さんを好きになれない息子に、先生の昔からの友人である帽子屋が、なぜお父さんが週末ピエロになるのか、という理由を説明していく。 お父さんや帽子屋さんが若い頃、何があったのか?そんなストーリー展開。同じ俳優がそのまま若い頃の役をやるのは、ちょっと無理があったがご愛嬌。短い時間で、とてもよくまとまった良いシナリオだなぁ、と感心しながら、本当はとってもシリアスな題材なのに楽しく見させてもらった。

日本共産党はなぜ敬遠され続けるのか

 ひとことで言えば、自分を絶対善として正当化して、その他をケチョンケチョンに批判する姿勢。これこそが共産党のダメダメな部分だと思ってしまうのは私だけだろうか。  戦争反対、9条を守れ、消費税反対。大企業からもっと徴税すべし。確かに、K泉J一郎なみにわかりやすく、また、ごもっともな主張なのだけれど、現実はそう単純じゃないのよ、ということを有権者はよくわかっているので、逆に胡散臭く感じてしまうのだ。そう、いわゆるイスラム教やキリスト教などの宗教で問題視されている「原理主義」と同じ臭いがするということ。かたくなに政党名を守るっていうのも理由はごもっともだけど意固地すぎる。  それにつけても、市議レベルでは一番地道に社会の諸問題に取り組んでいるということを結構知っていたりするので、その方々には本当に頑張ってほしいのですが。  それとも、近々また活躍できる時代がくることを見越しての「頑なさ」なんだろうか・・・。

愛は強制できるか?

 住めば都と言うが、意識するかどうかは別として、長く住み慣れた土地に愛着を持たない人は少ないだろう。その環境に包含されながらより良い生き方を模索する中で人びとが自然と心の中に育むもの。それが愛郷心。その延長にあるのが本来、愛国心と呼ぶべきものだと思う。  ところで最近の様々な事件を思い起こしたとき、人のつながりも含めて、大切なものがないがしろにされていると感じることが多いのは、社会の制度やしくみが良い形で機能していない結果に思える。  本来ならば、それを常に軌道修正する先頭に立つべき人々が、守りの体勢に入って、苦し紛れに不安ばかりを煽り強制するもの。それこそが今、教育現場で再び強制されはじめた「愛国心」の本質ではないだろうか。  この巧妙なスリカエに絶対に惑わされてはならない。

絵本に泣けた

「 おばあちゃん ひとり せんそうごっこ 」(文・谷川俊太郎、絵・三輪滋/プラネットジアース刊)という、一見、おばあちゃんが一人で戦争ごっこをしているのか?と思わせるタイトルの絵本を読んだ。 実は20年以上前に「シリーズちいさなつぶやき」として発行された、「おばあちゃん」「ひとり」「せんそうごっこ」という3冊の本が合本復刊されたものだ。それぞれ、認知症、大勢より一人が好きという性格の子の生きにくい世の中、戦争を扱った内容だけれど、20年という時を経て全然古くないというのと、三輪滋の絵に不思議と訴えかけるものがあり、久々に絵本を読んで涙が出た。

ジブリの「ゲド戦記」を見に行く

実は本を読んでいないので、偉そうなことは言えないけれど、映画になっている部分、煎じ詰めれば 善と悪、生と死 は背反するようでいて実はそれぞれ(表裏)一体のものである、というのがテーマ(と勝手に決め付ける)。今回の映画、そのテーマ性とスケールの大きさのバランスがとれていないように思えた。テーマ性を強調するのであれば、狭い範囲でじっくり描くべきで、スケールを見せるなら、もっと娯楽性に富んだ作品にすべきだった。スケール感がある割に娯楽性に乏しく、描かれているものが地味であるためか、何度も眠くなった。そういう視点で見ると親父の宮崎駿はそのバランスを突き詰めて完成度の高い作品を作っているように思う。それはきっと命を削る作業でもあるのだろうが。 夜は、赤坂のライブハウスに行く。Psalm(サーム)というグループで音楽やパフォーマンスを行うグループのライブ。グループと言ってもメインメンバーは2人で、玉井夕海(たまいゆうみ)が声と歌、かりんが琴と歌を担当する。一度、プライベートライブに呼んでいただいたことがあり、それ以来2回目の鑑賞。今日は彼女らに加えバイオリン、ビオラ、ピアノ、パーカッション、アコーディオンが加わった贅沢な編成。今回はメインメンバーの玉井が主演の「 もんしぇん 」という映画の公開記念ライブという位置付けだ。実は彼女、ジブリの千と千尋の神隠しで、油屋の中で千を助ける姉御「リン」の声を演じた人。そういう意味では、偶然だけど今日はジブリつながりな1日であった。改めて、彼女のタレントぶりには感心した次第。いつもながらにライブハウス側の音作りが気になるが、まあ頑張っている方だと思います。

和太鼓のコンサートを聞きに行く

 「英哲風雲の会」という男性若手和太鼓奏者6名のユニットだ。和太鼓奏者で今や世界的に活動する 林英哲(はやしえいてつ) が監修しているということで、グループ名の頭に「英哲」とついている。演奏内容やフォーメーションも、飽きさせない工夫がされていて楽しかった。和太鼓は圧倒的な音圧に加え、バチさばきの美しさがポイント。太鼓を打っていないほうのバチ(腕)の動きなどが、洗練されているほどカッコいい。筋肉モリモリの若い太鼓打ちのコンサートなので、当然のことながら聴衆は若い女性も多かった。  関係のない話だが、このコンサートが行われたホールに入るときに、15年ぶりの懐かしい顔と偶然遭遇した。名古屋でNPOの代表理事をしているH氏だ。英哲氏のコンサートに関わっているらしく、打ち合わせのために来ていたようだが、株式会社を選択した我々とは道を異に、あくまでもNPOで活動を続けてきたことに改めて感銘を受けた。

すごい迫力

安部司著/東洋経済新報社刊『食品の裏側』という本を読んだ。 ジャーナリストや科学者や運動家の書いた告発本と違って、添加物を売りまくっていた(悪意もなく優秀な)トップセールスマンだった著者が書いたというところがその「迫力」の素になっているようだ。そのためか本としても売れ行きも良いと聞く。  ここのところ「ジャーナリスト」という職業分野の活躍がパッとしない中、医療の問題を始め、すでに世の中はエキスパートによる社会問題の提起が当たり前の時代になってきている。問題がそれだけ専門化したとも言えるが、かえって表面的に恐怖感ばかりを煽ることがなく、本質的に考えさせられるという点で優れている。  著者の「気付き」のきっかけとなったのが、自分が開発したミートボールを喜んで食べている家族の姿だというから、いかに我々が、普段「仕事」と「生活」を切り離して物を考えてしまっていることか。そのことに改めてショックを受けた。

上々颱風のライブを聞いた

シャンシャンタイフーンのライブを聞いた。若者たちに交じって、けっこう熟年層が多かったのは、本人達がけっこういい年だからということもあるのかもしれない。しかし、そのパワーたるや、侮ることなかれ。だ。摩訶不思議としか言いようがないサウンドは、なかなかに楽しめた。最後に、マイク・アンプ一切無しでやったのもとても良かった。 公式ブログを見ると、聴衆も「群馬の山奥から来ました」とか「夜行バスで片道10時間、山形から来ました」とか、「名古屋から行ったかいがありました」とか、相当、熱狂的なファンがいる模様。 辛口なことを書かせてもらえば、PAの音質がイマイチ。もう少し、ドラムはちょっとエコーが効き過ぎの感があったし、ベースの音が曇っていた。残念。

Ah! もう1年以上も書いてなかった。

今日、とうとう、他人にこのブログのアドレスを教えてしまった。たくさん書ける人って、どういう人なんだろう?すごいなーと思う。 昨年、何回か書いたものを見直すと、日頃の生活の中で、あれ?とかおや?とか思ったことをネタに書いているように思う。 そういったことは、毎日なにかしらあるのだが、そのときにメモっておかないと、忘れてしまう。 それも、これも、習慣になってしまえば、すらすらと書けるのか?とも思うのだが・・・。